LOGINふわふわと温かく包まれているような心地よさの中で、ふと昔のことを思い出した。 「母上は、父上のどこがお好きなのですか?」 「突然どうしたの?」 俺の問い掛けに、母上は驚きで目を見開いた。 父上は帝国近衛騎士団総長で、顔の造形は男であるのにも拘わらず『美しい』と評され、身長も高く、がっしりとした騎士らしい身体つきだ。 しかし、いつも寡黙で表情が変わることは滅多になく、息子の自分でさえ笑った顔を見たことが殆どないほど愛想がない……。 遠くから見る分にはいいが、いざ交流するとなれば、あまりの沈黙に耐えられない人が続出する……という話が俺の耳に届くほど酷いらしい……。 何故、母上はそんな父上と一緒にいられるのか? 幼心に不思議だった。 母上が話しかけても大抵無表情のまま「……ああ」や「……そうだな」と、一言で終わる。 世の女性なら……いや、俺でもそんな男の妻になるなど御免被りたい。 ————だが母上は父上のことが本当に大切で、本当に愛しているということが傍目から見ても分かる。 そう説明すると母上は、ふふっと小さく笑った。 「確かに初めてお会いした時は無表情だし、あまりにも無口だから『わたくしが話題を振らなければ!』と、交流のお茶会の度に一生懸命話題を探して一方的に話していたわ」 母上の言葉に『やはり、そうだったのか』と内心父上にがっかりしたが、母上はそのまま話を続けた。 「——でもね、ある日『何故、わたくしだけこんなに必死にならなくてはならないのかしら?』と思って、無理をすることを止めたの。そうしたらいつも一方的に話し掛けてきていたのに、ピタッとそれがなくなってしまって戸惑ったのね。お父様は目に見えて動揺していたわ」 「あの泣く子も黙る孤高の近衛騎士様がよ?」と俺に微笑んだ後、その頃を思い出すかのように遠くを見つめた。 「それで気付いたの。お茶会の際にわたくしが好きだと言ったお菓子を手土産で持って来て下さったり、お出掛けしたら行ってみたいと話した所へ連れて行って下さったり————その時、お父様は口下手だけれどちゃんとわたくしを尊重してくれる方なのだと……」 「話さなくても信頼出来る方に出会えることは、なかなかないものなのよ」と言いながら、母上は穏やかに微笑んだ————。 その日から屋敷にいる時は、ず
昼食会の翌日、いつも通り昼休みにレイルと食堂《ダイニング・ホール》へ向かった。 皇族であるレイルの食事は、全て毒味が済んでからでなければ配膳されない。 もちろん、同じ席で食事をするダリウスの分も同じように用意される。 「レイル、セドリック!」 いつものようにダリウスとアーサンが手を振りながら、レイルたちの所へやって来た。 そしてその後ろには、何故かブライトン伯爵令嬢の姿も……。 「あの、ダリウス様たちからランチにお誘いされて……ご一緒してもよろしいですか?」 ブライトン伯爵令嬢は視線を下げ頬を赤らめてはにかんでいるが、既に注文した料理が乗ったトレイを持った上にダリウスたちが誘った令嬢を断るなど、周りへの印象を悪くするだ。 「もちろん、どうぞ」 一瞬レイルの眉がピクッと動いたが、それを気付かせることもなく微笑んで承諾を伝えた。 俺たちの向かい側の席にいつも通りに二人が座ると、その隣にブライトン伯爵令嬢がトレイを置き静かに腰を下ろした。 「あの、ご一緒できて嬉しいです!皆さんはお食事が準備されているんですね!」 「レイルは皇族だからね。毒味が済んだものじゃないと口に出来ない決まりでね。私たちも同じテーブルで食べるから一緒に用意されているんだ」 ブライトン伯爵令嬢はダリウスの言葉に一度瞳をキラキラ輝かせた後、しゅんとして俯いた。 「そうなんですね!でも……何か、私だけ場違いみたいですね……」 「これから毎日一緒に食べることにしたらいいんじゃないか?レイル、いいだろう?」 ダリウスがレイルに同意を求めたが、そもそも突然来たのだからブライトン伯爵令嬢の食事の用意がないのは当然の話だ。 アーサンは身分的に表立って『賛成』だと口には出さないが、こちらを見る表情は雄弁に語っている。 ブライトン伯爵令嬢はオロオロと戸惑っているかのように、「そんな!申し訳ないですわ!」と傍目からは遠慮しているように見えるだろうが、そのピンクブラウンの瞳には期待の色が滲んでいた。 「そうだなあ……でも私たちと一緒に食事をすると他のご令嬢たちから、あまり良く思われないんじゃないかな?」 「でしたら、書記として生徒会に入って頂くのはどうでしょう?アメリア嬢は成績も上位ですし、マルガレーテ嬢だけでは手が回らないこともあります
どうやらダリウスとブライトン伯爵令嬢は密かに交流を図り、親密さが増していると同時にマルガレーテとの溝はどんどん深まっていく一方だった。 最近ではそこにアーサンも加わり、生徒会の中でも微妙な空気が流れることが増えた。 令嬢の中で最も高位の身分にあるマルガレーテの所には、『婚約者がブライトン伯爵令嬢と距離が近過ぎる』と相談に訪れる令嬢が後を絶たない。 高位貴族としても、生徒会役員としても、さすがに放っておくわけにもいかない。 マルガレーテは何度かダリウスに苦言を呈したようだが、それが聞き入れられることはなく『あくまでも、友人の一人として付き合っており、疚しいことは何もない』と一蹴した。 もちろん、ダリウスだけではなく元凶にも注意をした。 しかし当のブライトン伯爵令嬢は、すぐに涙を浮かべ『そんなつもりはなかった』と謝罪を口にする割に、その言動が変わることはない……。 面倒なことに、その後ダリウスや取り巻きたちがマルガレーテに直接抗議をすると共にブライトン伯爵令嬢を慰めるという状況が続き、中には婚約を解消する者たちも現れ始めていた————。 学園内のギスギスもした空気に俺は心の中で密かに溜め息を吐く。 今日は学園行事に関して会議しなければならないことがあり、役員が揃って生徒会室で昼食会をすることになっていた。 もちろん、ダリウスやアーサンの他にマルガレーテも揃う。 気が進まないながらも決定事項に異を唱えられるはずもなく、生徒会室へ向かうと中には既にレイルとマルガレーテがいた。 ダリウスとアーサンは、どうやらまだのようだ。 「ダリウスたちはまだか?」 「そうなんだよね。私たちよりも先に教室を出たと思っていたんだけれど……」 俺の問い掛けにレイルは渋い顔で答えた。 生徒会役員は全員同じSクラスだ。 教室から生徒会室までは少し距離はあるが、そんなに遅れるほどではない。 (どこで寄り道しているんだ?) 昼食の用意は整っており、俺たちは先に席に着いて二人が来るのを待っていると扉を叩く音がし、最初に入って来たのはダリウスだった。 「すまない、待たせたか?」 「いや、まだそこまでは……」 ダリウスに続いてアーサンも入って来ると、何故かその後ろからブライトン伯爵令嬢も姿を現した————。 「アメリ
あの日から図書室で出会った彼女のことで、頭がいっぱいだった。 授業前や昼休みに移動する時、放課後生徒会室へ移動する時————。 すれ違う人々の群れの中にいるであろう、彼女の姿を無意識に視線で探してしまう————。 「……セドリック。君、最近様子がおかしくないかな?」 ついに放課後の生徒会室で、俺の様子に違和感を覚えていたレイルに突っ込まれてしまった。 今日は運悪く生徒会の定例会議があった為、室内にはメンバーが全員揃っている。 一瞬、誤魔化そうかとも考えたのだが、最近は自分でもおかしい自覚があった上、上手い言い訳も特に思いつかず、渋々彼女のこと話すことにした……と言っても簡単にだが。 「なるほど……。ミルクティー色の髪に、アメジストのような深い紫色の瞳の令嬢、ね」 レイルが何処か含みがあるように呟くと、向かい側の机で書類の整理をしていたマルガレーテが「その令嬢に心当たりがある」と話し始めた。 「恐らく、ヴァレンシュタイン家のセリーナ・フォン・ヴァレンシュタイン女子爵ではないかしら? 確か先代ヴァレンシュタイン子爵ご夫妻がお亡くなりになった際、後継となるお子さまがいらっしゃらなくて、遠縁であるヴァレンシュタイン女子爵が爵位を継承なさった、と耳に致しましたわ」 「…………セリーナ・フォン・ヴァレンシュタイン女子爵……」 マルガレーテいわく、ヴァレンシュタイン女子爵はAクラスに在籍しており、Sクラスではないものの優秀な人物らしい。 朗らかな性格で身分に関わらず、どんな生徒に対しても丁寧に接する為、特に反感を持っている人もいないのではないか、とマルガレーテは続けた。 領地運営も順調で領民たちからの評判も良く、財政状況も問題がないのに未だ婚約者はおらず————婿入り先がなく、平民落ちになる次男以下の貴族子息たちにとっては俺と同じく涎ものの好物件だ。 その為、婚約者の席を狙っている子息たちからの釣書が山のように届いているようだが、権力に興味がない彼女は高位貴族からの婚約の申し入れであろうと、平気で断りを入れるらしい。 一般的に自分よりも高位の貴族家から強制されれば逆らえない場合が多いのだが、臆することなく断ることが出来るのはそれだけ『力がある』ということだ。 「ご令嬢たちに塩対応の『銀氷の騎士様』にも、ついに春が来た
ブライトン伯爵令嬢とマルガレーテたちのトラブルの場に居合わせたあの日以降も当然のことながら、いつもと代わり映えのしない日常が続いていた。 淡々と変わらない日々————だが、心の中では『あの夜』の出来事が胸の奥のどこかに、抜けない棘のように残っている————。 ————あの、深いロイヤルブルーの瞳が忘れられない……。 意識しないように頭の片隅に必死に追い払い、俺はいつもと変わらず『普通』を装っていた。 —————— 「セドリックは、魔法学の課題は終わったのかな?」 「いや、まだだ。この後、図書室で参考になる本を探そうと思っていたところだ。」 食堂《ダイニング・ホール》で昼食を摂っていると、レイルに何気なく問い掛けられた。 「あの課題はなかなかまとめるのが大変だったな……」 既に課題が終わっているダリウスは顔を顰め、かなり大変だったことを滲ませた。 「魔法学は実技だけではなく、課題提出も評価に響きますからね……」 「まあ、Sクラスだからね。それくらいは許容しないと」 アーサンもダリウスに乗り、面倒くささを隠さずに愚痴を零すとレイルが笑みを浮かべて窘めた。 少し和やかな空気に変わり、四人共食事を終えると、俺は早々にその場を後にし、図書室へと向かった。 ———————— 滅多に来ない校舎の隅にある図書室の前へ辿り着くと、明らかに他の教室とは違う扉のハンドルを握り、押し開けた。 室内へ一歩足を踏み入れると、喧騒とは程遠い静かな空間が広がっている。 テスト期間に利用する生徒は割と多いが、その日の人影はまばらだった。 本の独特な紙の香りが漂い、空気が澄んでいるように感じると何だか肩の力が抜けた気がした。 (さて、魔法学の本は……) 館内案内を確認し、目当ての書架へ移動して一冊一冊手に取り、パラパラと捲りながら参考になりそうな本を探した。 回り込み裏側の棚へ移動すると、そこには一人の令嬢の姿があった。 ミルクティー色のさらさらな長い髪。 チラッと見えた制服のリボンの色から同じ学年のようだった。 一番上の棚にある本が取りたいようで、背伸びをしながら手を伸ばして背表紙の上側に指を掛け引き出せた——と思ったが、掴みきれずに俺の近くに落ちてしまった。 その本を拾い、ホコリを払ってから彼女にそ
アメリア・フォン・ブライトン伯爵令嬢────それが、今の私の名前。私のお父様はブライトン伯爵家の婿で、ある日お忍びで来ていた下町の酒場で平民のお母様と出会った。お母様に一目惚れしたお父様は『奥様』の目を盗んで度々会いに来て、そして二人は愛し合って私が生まれたの。お母様は『愛人』だったけれど、三年ほど前に正妻でブライトン女伯爵だった『奥様』が病で亡くなったことで私たちの運命が変わったわ。この国では女でも爵位を継承することが出来るけれど、家門の血筋の者以外が継ぐことは『お家乗っ取り』に当たる。だから婿入りしたお父様がブライトン伯爵位を継承することは許されない……。お父様と『奥様』との間には子どもがいなくて、数年前に分家筋から私より二つ年上のお義兄様を次期当主として養子に迎えていたの。『奥様』の血筋じゃないから女伯爵にはなれなくても、私の容姿なら『高位貴族へ嫁げるかもしれない!』と考えたお父様はお母様と再婚した。当然分家の親類たちは反対したみたいだけれど、それを押し切って私たちは『後妻』と『伯爵令嬢』になれた!これまでもお父様の援助で普通の平民よりは良い生活をしていたし、それなりに教育も受けていたわ。けれども本格的に貴族として生きていくには、まだまだ足りないと言われてしまった。リヒテンシュタイン帝国の貴族子女は十五歳から貴族学院へ入学しないといけない、と義務付けられてるそう。その為に貴族としての最低限の礼儀作法や教養を身に付けさせられ、特例で一年遅く『途中入学』することが出来たわ。平民の時には必要のなかった礼儀作法や、教養の勉強は厳しくて大変だったけれど、今まで身に纏うことも出来なかったドレスや宝飾類、そして華やかな貴族としての生活に胸が高鳴った。無事に入学すると二年生のAクラスだった。Aクラスは基本的には、それなりに学力が高くて伯爵家以上の人が多い。せっかく平民から貴族となったのだから、どうせなら素敵な人たちに囲まれたい……そんな思いで真面目に勉強を続けたわ。その甲斐あって、三年生になったときには最高ランクのSクラスに入ることが出来たの!Sクラスには今まで遠くから眺めるだけだった高位貴族の人たちがたくさんいて、最初はとても緊張したわ。成績は悪くなかった反面、礼儀作法は付け焼き刃で下位貴族と変わらないような状態だったけれど、気軽に話
──────貴族学院。リヒテンシュタイン帝国の皇族・貴族子女は十五歳から十八歳の四年間、必ず帝都にある貴族学院に通わなければならない。それは教養の他、交友関係を広げることや婚約者探しという理由もあるが、最も重要なのは『魔法』をきちんと身に付けさせる為だ。『学びの為の貴賤は問わず』という学院理念により、割合は少ないが一部魔力がある者や優秀な平民も特待生として通っている。現在三年生の俺も例外なく通っており、学院では幼い頃から側近候補として交流がある第一皇子のレイルが会長を務める生徒会の、二人いる副会長の一人として活動している。生徒会長であるレイル・オブ・リヒテンシュタイン第一皇子。同
————リヒテンシュタイン帝国。帝国始まって以来の賢帝であられると評判の現皇帝陛下の元、今年も社交期間《シーズン》が始まった。 社交期間に入った貴族たちの夜は長い。 普段は領地にいる者たちも帝都にある帝都邸《タウンハウス》へと移動し、男たちは紳士倶楽部や会談、女たちもお茶会や刺繍の集まりなど皆一様に社交に精を出す。それは家門の為だったり、自らの見栄や他者への牽制の為だったりと、この数ヵ月の間に人間関係がガラリと変わることも珍しくないのだ。そして今夜、俺————セドリック・フォン・ドラッケンベルクも、とある伯爵邸で開かれた夜会に駆り出された。 綺羅びやかなホール内には、自らを飾り立







